「せっかく築いた人間関係が変わってしまうのが怖い…」、「大切なものを失うのが怖い…」そんな悩みが尽きない事無いですか?
「無常」を知れば、その悩み軽く出来るかもしれません!
私ユダは人生において数々の転機(病気・人間関係の変化)があり、四六時中悩んでいた時期がありました。もちろん皆さんも何かしらの変化があって悩んだりする事があると思います。
しかし私はこの「無常」を理解していく事で変化を受け入れられるようになり、うつ病やパニック障害に対する大きな心の支えとなった事は間違いありません。
この世の仕組み「無常」を理解し、「世界はこういうものだ」という考えが根底にあれば、減らせる悩みも数多くあります。この世の仕組み「無常」についてわかりやすく解説していますので是非読み進めていただき、悩みを減らしていきましょう!
「無常」とは
さて、この世の仕組み「無常」とはなんぞ?という所ですが、実はめちゃくちゃシンプルな考えなのです。
それは「この世のすべては変わり続ける」という事です。
諸行無常という言葉を聞いた事あるかもしれません。諸行とは「この世の全て」という意味です。そして「無常」とは変化し続けるという意味で、諸行無常は「この世のすべては変わり続ける」という意味になります。
どうでしょう?この考えを聞いて、当たり前だと感じましたか?
皆さんが今「変わり続けている」とパッと考えたのは天気や季節の事だと思いませんでしたか?
この「無常」は「この世の全て」に適用されています。全てなので一切余すことなくこの世の全部です。
天気や季節の他に、自分の心や他人の心・自分の体などそういった物も全て1秒たりとも同じ状態では無く、変わり続けています。
天気や季節が変わるのは目で見て変化があるのでわかりやすいですよね、しかし一見変わっていない様に見える木も、土、水、火等も同じ状態でキープされていることなんてあり得ませんよね?カチカチに見える鉱物やコンクリートも物質的にはゆっくりですが変化し続けています。
自分の心はどうでしょう?ずっと同じ気持ちで固定できますか?おそらく10分前とは変化がある事に気付けたのではないでしょうか?自分の心も変わるという事はもちろん他人の心も変わっていきます。
自分の体はどうでしょう?子供の頃のような体力はありませんよね?
ここであなたの周りの物を少しだけ見回して「変化のないもの」があるか探してみて下さい。
いかがでしょうか?絶対見つからないはずです。
そうなのです。この世に「変わらない物は存在せず、全ては変わり続ける」のです。
ではこの「この世のすべては変わり続ける」という考えをどう取り入れるといいのか説明していきます。
無常の考えをどう取り入れれば良いのか?
さて、「この世の全ては変わり続ける」という考えは、具体的にどう取り入れていけば良いのでしょうか?
それは、「世界は最初からそういう物(この世は変化し続けるもの)だと割り切って生きる事」です。
少し厳しい見方かもしれませんが、仏教は「真理=現実」を説いてます。それゆえに祈れば救われるのような考えはありません(無いというより無関心です)。「現実」を説いているゆえの厳しさがあります。
※今現在日本の仏教では「お祈り」をする宗派もありますが、仏教は2500年ほど前にインドでブッダが説いてから中国に渡り、その後約1400年前に日本に入ってきました。その過程で変化があり、日本に入った後も、信者獲得の為に当時の「流行り」みたいな考え方が付け加えられたものが今の日本の仏教です。真理は勿論1つしか無いわけですが、伝わる過程で変化し日本に広まっています。結果的に祈る事で救われる人が沢山いたので決して間違いとか悪い事ではないです。仏教の変遷、これも「無常」ですねぇ。
話を戻し、この「世界は最初からそういう物だと割り切って生きる事」という事ですが、どうあなたの人生に当てはめていけばいいのか例を上げてみましょう。
例1)会社が倒産し、お金が無くなってしまった
→経済も一瞬一瞬変わる。一生安定した会社はあり得ないし、お金の流れが変わるのはごくごく当然の話である。
例2)地震で家が壊れていしまった
→地球も毎秒変化している、地震は地球の表面の薄皮が少し動いただけであり、その場所にたまたま家があっただけである。
例3)恋人が心変わりし別れを告げられた事に悩む
→人の気持ちも変わるのは当たり前でそういうものである。
例4)病気になってしまい、昔のように戻れないのか悩む
→自分の体は変化するのだから病気になる事も当たり前でそういうものである。
このように当てはめてみて下さい。この世は全て変化するという当たり前の事が、当たり前に次々と起こっているだけなのです。
このように考える事で、当たり前だから仕方ないと割り切る事ができ、少しは悩みも減るのでは無いでしょうか?
変化に対し心が苦しい原因
さて、考えとしては理解出来てきたと思いますがやはり、当たり前のことが起きてるだけだとわかっていても、なかなか心の苦しさは取れませんよね?
それでは我々の心が苦しい問題の原因は何なのでしょうか?
それは「当たり前に起きる現象に対していちいち良い・悪いの判断をしているから」です。
この世の仕組みから考えると、この世で起きる変化に対し、良いも悪いも一切ないのです。この世はただ変わり続けているだけ、それだけでしか無いのです。
本来、良いも悪いもない「この世の変化=無常」に対し勝手に良い悪いの判断をしているのは人間の方なのです。貴方にとって良い事か、悪い事かだけが当たり前に起きているだけなんですね。
人間は勝手に判断し、勝手に悩んでいる。なかなか変な話です。
この判断で自分の身や、身の周りに起きた変化に対し、自分に取って「都合悪い場合」のみ悩むのです。しかし、実はこの考えはわがまま極まりない考えなのです。
じゃあ、逆に変化がなんてしなければいい!と思うかもしれません。ではここで変化のない世界を想像してみましょう。
貴方は生まれてから全く変化しない存在だとします。変化しないのでそのまま言葉も覚えず動くことも出来ません、瞬きも出来ず、体も成長せずに動くことさえ出来ません。変化しないので死ぬことも笑う事も出来ません。
そんな恐ろしい人生を貴方は望んでいるのでしょうか?
絶対違いますよね?笑
「変化」を望んだ世界にいるのに、「(自分に都合の悪い)変化」だけを受け入れない。これはこの世を受け入れてない考えになりますよね。
自分が良い方にばかり「変化」して欲しいという考えが、そもそもこの世のルールに反した考えなのです。
無常を知ったあと、どう生きる?
無常を知ると、最初は厳しいものに感じられるかもしれません。
しかし我々の目的は、「自分にとって都合の悪い変化が全くない人生」を目指す事ではありません。
「自分にとって都合の悪い変化が全くない人生」はこの記事の内容でわかるように無常の概念からするとハッキリ言って無理なのです。ありえないのです。
ありえない事を望み、悩む事ほど、人生を無駄に消費する事はありません。
そうではなく、我々が目指すのは「変化の波に流されず、落ち着いて生きる」ことです。
ブッダの有名なお話の中にこういう話があります。
【賢者は一の矢を受けても、二の矢は受けない。しかし凡人は一の矢に続いて自ら二の矢を放ち、さらに苦しむ】
この言葉の意味は、賢者は避けられない苦しみを受け入れるが、余計な苦しみは作らない。という事です。
多くの人は何か自分に取って不都合な出来事(一の矢)があった場合、「何でこんな事が…」と考え続け、自分でさらなる苦しみ(二の矢)を生み出してしまいます。
世の中には、目が見えない・不治の病がある・手足が無い状態で生まれたという方や、長年勤めていた会社が倒産した、信じていた夫に酷い裏切りを受けたなど様々な苦しい一の矢を受けてしまった人が沢山います。
しかし、この一の矢を受けた人全員が悲観的な人生を過ごしているでしょうか?
それでも周りに希望を与え、充実した人生を過ごしている方は今この瞬間もこの世に沢山存在しています。そういった人は二の矢の被害を受けてない、または最小にとどめるような思考・生き方をしているのです。
私ユダも家庭の借金やそれによるうつ病・パニック障害・自律神経失調症発症と様々な一の矢を受けてきましたが、今ではブッダの言う賢者にならい一の矢は無常による事だと受け入れ、お金が無かった事や、病気になったという体の変化が自分に起きたことに対して、今では悩むことはありません。
もちろん、私がこの無常の考えを知ってからも、すぐになんでも「あぁ無常だから仕方ないね♪」となったわけではありません。しかし、何か身の回りに変化が起きるたびに「これも無常だな」と考える癖付けをしてから、本当に無駄な事に悩む習慣は無くなったと感じています。
皆さんもぜひ「無常」の考えを取り入れ、悩みを減らして行きましょう!
この記事のまとめ
・「無常」とは、この世の全ては変わり続けるというこの世の仕組みの事。
・世の中の全ての変化に良い悪いという考えは一切無く、人間が勝手に判断しているだけである。
・「自分にとって都合悪い変化」が起きた時、それに対し悩むのは人生の無駄である。
