「ついつい人目が気になる…」、「自分て何なんだろう…」と悩むことはありませんか?
「無我」を知れば、もっと自分らしく生きれるかもしれません!
私ユダは幼少期から大の心配性気質で、過去に他人の目を気にして生きることがデフォルトな人生を送っていました。そんな性格のおかげで何事にもチャレンジせずに長い時期を過ごしてきました。しかし私はこの「無我」を理解していく事で他人の目を少しずつ気にしないようなり、今では自分のやりたいことにチャレンジし充実した日々を過ごしています。
この記事では、この世の仕組み「無我」についてわかりやすく説明していますので是非読み進めていただき、悩みを減らしていきましょう!
「無我」とは?
先ず、「無我」とは我(われ)は無(ない)、つまり自分は無いという意味です。
こう聞くと、えっ?さすがに自分はあるだろ?と思うかもしれませんが、「自分なんて存在しない」という意味ではありません。
無我の本質は「この世界に”固定された自分”は存在しない」という考え方です。
では、固定された自分が無いという事はどういう事でしょうか?例を上げてみましょう。
例1)名前→両親が付けたもので、生まれた時は無かった
例2)性格→周りの環境や経験で変わった
例3)職業や立場→変われば周りからの見方が変わる
つまり、「本当の自分!」と言えるものはこの世に無いのですね。本当の自分なんて無い(常に自分は変わっていく)のに、「自分はこうあるべき!」という思い込みがあると途端に苦しむ事になってしまいます。
なぜ自分にこだわると苦しくなる?
「自分はこういう人間だ!」、「自分はこうあるべきだ!」という強い思いがあると苦しみます。なぜなら「無我=自分は固定されたものではない」というこの世の仕組みに逆らっているからです。
例えば、「皆に好かれる自分でいたい!」「自分は病気になるわけない!」「完璧な人間でいなきゃ!」「良い母親にならなきゃ!」このような「こうあるべき固定観念」があると、人に嫌われてしまった時に自己否定してしまったり、病気になった時に必要以上に苦しんだり、ミスをしたときに落ち込んでしまったりするわけです。
つまり、「こうあるべき」と「現実」の差に苦しみが生じてしまうのです。
「人の目が気になる」というのも「自分」にこだわるから発生する悩みになります。
「変に思われたくない…」「あの人、今の私の発言どう思ったんだろう…」こういった悩みの根本には「他人にこう見られたい!」という自分へのこだわりがあります。
「無我の考え」をどう取り入れればいいのか?
では、無我の考え方を具体的にどう取り入れればいいのでしょうか?
前章で解説した通り、固定された自分なんて無いのがこの世のルールです。
つまり、自分への「こうあるべき」というこだわりは捨てる事ができれば楽になっていきます。
自分の心の中にある「こうあるべき固定観念」を探して捨てれるものはどんどん捨てて行きましょう。
もう一つ「固定された自分もない」という事は「他人も固定された存在ではない」のも当然のルールです。
つまり、「他人の評価」も固定されておらず変わるのは当たり前です。評価が変わるのは当たり前だと知っていれば、それにいちいち気にするのは無駄だと理解できます。もし何か言われたとしてもそれは一時的な評価にすぎません。さらに人間は誰かと比較し優劣を付けたがりますが「固定されてない存在」同士を比べるというのも可笑しな話です。
貴方が、例えば「今の恋人と絶対嫌われたくない!」と思っていたとしたら、これは非常に苦しむ考え方なんですね。まず嫌われたくないから相手の顔色ばかり伺うようになります。そして振られてしまったりしたらもう耐えられないほどの苦痛を味わうのですね。
だったら最初から「今の彼氏を私なりに大事にしよう!それでも嫌われたら仕方ない!」こう思っていれば、万が一別れる事になっても病的に落ち込むこともないのです。これは世界の仕組みに反してない考えですからね。
自分に自信を持ってキラキラしている人は恋愛でも1人に執着はしません。うまくいかなくてもまたすぐに切替え次に進めるのです。
このように考えていく事で人生における「変化」を恐れる事も少なくなり悩みが減っていくのです。
この記事のまとめ
・固定した自分は存在しないのだから「こうあるべき自分」というのも存在しない。よって存在しない「理想の自分」と「今の現実」に悩む必要は無し(無意味)。
・他人も同じ存在であるから、比べる事もしなくてよい(比べるから悩む)。